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ウズベキスタンの首都・タシュケントについて。タシュケントの歴史、気候、地区、観光地、都市開発、教育機関、交通機関などについて簡単にまとめています。
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1917年のロシア革命で一旦古い町並みが破壊され、さらに1966年のタシュケント地震で古い建物はほとんどが破壊されたため歴史ある建物は数少ない。しかし、タシュケントはソビエト連邦時代に建設されたモニュメントなどの像が多く街に残っている。ウズベキスタンの首都、および中央アジア最大の都市ということもあり、観光施設も多い。[9]
・タシュケントタワー、中央アジアで最も高い建築物である。(375メートル)
・クケルダシュ・マドラサ、ブハラ・ハン国のアブドゥッラーフ2世(英語版) (1557-1598) の治世に建設されたマドラサ。現在マーワラーアンナフルイスラム会により修復作業が行われている。内部を博物館へと作り変える議論も行われているが、2013年時点ではモスクとして使用されている。
・チョルスー・バザール、クケルダシュ・マドラサの付近に位置する。巨大な屋外バザールはタシュケント旧市街の中心的な役割を担っている。想像しうる全ての物が販売されているとされる。
・テリャシャヤフ・モスク (ハスト・イマーム・モスク)、このモスクには世界最古のクルアーン (イスラム教の教典) とされるウスマーン写本が置かれている。殺害された第3代正統カリフ、ウスマーンの血痕が付着しているとされる。ティムールによりサマルカンドへと持ち帰られたと考えられている。トルキスタン総督府時代に一旦サンクトペテルブルクへと持ち去られたものの、1924年に再びウズベキスタンに返還された[10]。
・ユーヌス・ハーン廟群、15世紀に建設された3つの霊廟の集合体。19世紀に修復作業が行われた。最大の霊廟はムガル帝国の創始者バーブルの祖父であった ユーヌス・ハーンの墓である。
・ウズベキスタン外務省迎賓館 (旧称: ニコライ・コンスタンチノヴィチ・ロマノフ大公宮殿) 19世紀にアレクサンドル3世の初のいとこであったニコライ・コンスタンチノヴィチ大公はアメリカ合衆国の娼婦に唆される形でロシア帝国の宮殿から宝石を盗み出し、精神面で問題が在るとされてタシュケントへと追放された。彼の宮殿は現在も街の中心部に残っており、ウズベキスタン国立美術館として利用された後、現在はウズベキスタン外務省の迎賓館として利用されている。ソ連建築の中、イギリス風の建築は目立つ。
・アリシェル・ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場。モスクワにあるレーニン廟と同じ設計者であるアレクセイ・シューセフにより設計された。第二次世界大戦の際、シベリア抑留により日本の軍人が多数タシュケントへと連行され、この建物の礎を築いた。
・ウズベキスタン国立美術館、世界各国の美術品約5万点の展示。主力は近世ロシアの美術品コレクション。手製の刺繍であるスーザニのような、19~20世紀の近代応用美術品とともに、ロシア帝国以前のソグディアナの壁画、仏像やゾロアスター教美術のような美術品が展示されている。より興味深いのは、タシュケントに幽閉されていたニコライ・コンスタンチノヴィチ大公が、自身の宮殿を華やかなものとするためにエルミタージュ美術館から借りて、返還されなかった絵画の大規模コレクションである。美術館の後ろには小さな公園があり、1917年のロシア革命と1919年のコンスタンチン・オシポフ(ロシア語版)の反乱で死亡したボルシェヴィキの荒れ果てた墓がある。ここにはウズベクSSR初の大統領ユルダシュ・アフンババイェフも眠っている。
・ウズベキスタン国立応用美術館、陶芸品など、19世紀前半の美術品約7000点が展示。伝統のある施設はロシア帝国の裕福な外交官から寄付されたものであり、施設自体が主な見どころとなっている。また19~20世紀の中央アジアやロシアの応用美術品が展示されている。
・ウズベキスタン国立歴史博物館、ウズベキスタン国内だけでなく中央アジア最古の歴史博物館である。
・アミール・ティムール博物館、鮮やかな青のドームと東洋風の内装が非常に目を引く建物。ティムール朝時代に関する展示を行なっている他、イスラム・カリモフ大統領の展示もある。隣接するアミール・ティムール広場には馬の背に乗ったティムールの像が設置されており、付近の広い庭園と噴水は市民の憩いの場となっている。
・ナヴォイ文学博物館、ウズベキスタン文学最大の英雄とされるアリー・シール・ナヴァーイー(アリシェル・ナヴァーイー)を記念した博物館。レプリカの著書のほか、ペルシアのカリグラフィーや15世紀のミニアチュール(英語版)などが展示されている。
・タシュケント動物園、水族館も併設。約370種の生物が展示されている。
アミール・ティムール広場に設置されていたロシア正教会は1898年に建設されたが、2009年に取り壊された[11][12][13]。
また、タシュケント郊外のチャルヴァク湖は行楽地として有名で、マリンスポーツ、ウィンタースポーツを楽しむことができる。

参照元:ウィキペディア「タシュケント

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サッカーはタシュケントで最も人気の高いスポーツであり、タシュケントを本拠地とするサッカークラブ、FCパフタコール・タシュケント、ロコモティフ・タシュケント、FCブニョドコルが国内最上位リーグのウズベク・リーグに参加している。FCブニョドコルは2008年にAFCチャンピオンズリーグの決勝トーナメントにまで進出、2012年にはAFCチャンピオンズリーグ2012でベスト4にまで進出した。サッカー選手のピーター・オデムウィンギーやヴァシリス・ハツィパナギス(英語版)もまたこの街の出身である。
世界でも有名な自転車競技選手ジャモリディネ・アブドヤパロフはこの街の出身である。また、テニス選手のデニス・イストミンはこの街で育った。 アクグル・アマンムラドワやイロダ・ツルヤガノワもまたタシュケント出身のテニス選手として名高い。
新体操選手のアリーナ・カバエワや体操選手のアレクサンデル・シャティロフ(英語版)はこの街の出身である。
カヌー競技のカヤック一人乗り500mスプリント前世界王者でオリンピック銅メダリストのミカエル・コルガノフ(英語版)もまたタシュケント出身である[27]。
Natella Tellerはタシュケント出身のバドミントン選手として初めてオリンピックでメダルを獲得した。

参照元:ウィキペディア「タシュケント
市内交通は、地下鉄、路面電車などがある。タシュケント地下鉄は、中央アジア初で、ソ連時代にソ連で7番目の地下鉄として1977年に開業した(着工のきっかけとなったのは、1966年の地震である)。現在3路線で29駅。
○空港
・タシュケント国際空港が12km南東にある。ウズベキスタンのみならず中央アジア最大の空港である。ウズベキスタンとアジア、ヨーロッパ、北アメリカ大陸を結ぶ空の玄関口となっている。
○鉄道
・タシュケント駅と南駅の2つがある。
・トランス・アラル鉄道
・トルキスタン・シベリア鉄道
・カスピ海横断鉄道
・タシュケント・サマルカンド高速鉄道
・タシュケント市電
・タシュケント地下鉄
○バス
・タシュケント市営バス
・タシュケント市営トロリーバス - 2010年廃止

参照元:ウィキペディア「タシュケント
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